2010/10/03 00:19:38
1900年代初頭、日露戦争の教訓を糧に政府は産馬育成の強化をはじめ、1907年(明治40年)6月、赤心社が拓いた西舎に内閣日高種畜牧場を設置して、アングロアラブ種牡馬アラデュが導入した。
翌年にはサラブレッド種牡馬ブレアーモアーが導入されている。日高種畜牧場の転機になったのは、1937年(昭和12年)にアガ・カーンの生産馬であるセフトが種牡馬として輸入された時である。
戦前最後の輸入種牡馬セフトは、種牡馬としての絶頂期を太平洋戦争で棒に振ったが、それでも「幻の馬」トキミノルや二冠馬のボストニアン、スウイイスーらの父となって空前の成功を収め、太平洋戦争が終わると5年連続の日本のリーディングサイアーになった。
その後も1958年(昭和33年)から3年連続でライジングフレームがリーディングサイアーになり、日本のサラブレッド生産地図は、それまでの千葉・東北中心から日高中心に塗り替えられた。
なお日高種畜牧場は変遷を経て現在はJRA育成牧場となっている。
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