2010/10/04 00:21:01
日高種畜牧場が絶頂を謳歌していた1960年(昭和35年)、斎藤卯助が荻伏駅前で営んでいた旅館に、斎藤の旧友の武田文吾がやってきた。
既に武田は無敗の二冠馬コダマの調教師として名を馳せていた。
武田は次の名馬の卵を探して斎藤のもとを訪れたのである。
どこかにいい馬はいないかと問われた斎藤は、浦河の小さな牧場に案内して生まれたばかりの仔馬に引き合わせた。後のシンザンである。
斎藤卯助は名種牡馬ネヴァービートを輸入した人物としても知られ、後に日高軽種馬農協の組合長や中央競馬の運営審議委員を歴任し、日高の馬産の発展に尽力して「日高のゴッドファーザー」と呼ばれた。
その斎藤卯助が場長を務める荻伏牧場は、はじめはシンザンの育成牧場として名を知られるようになった。広い敷地を持つ荻伏牧場で育成されて活躍した競走馬には、シンザンのほかマックスビューティ、シャダイカグラ、スーパークリーク、ウイニングチケットなどを挙げることができる。
しかし当時5頭ほどの繁殖牝馬しかもたなかった荻伏牧場の名を世に知らしめたのは、40年以上にわたって活躍馬を出し続けている華麗なる一族によるところが大である。
このほか、荻伏牧場の主な生産馬として、オヘクスを勝ったノアノハコブネや日本ダービー2着のスズマッハが挙げられる。この2頭は、斎藤卯助の息子斎藤隆が牧場長となってからの生産馬である。
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