2010/07/07 00:40:09
子母沢寛(しもざわかん) 1
(1892―1968) 小説家。旧厚田村栄誉村民
明治25年2月1日、石狩郡厚田(あつた)村(現石狩市)に生まれる。
本名梅谷松太郎。
本名梅谷松太郎。
父母とは縁が薄く祖父母に養育された。
画家三岸好太郎(みぎしこうたろう)は異父弟にあたる。
祖父梅谷十次郎(通称斎藤鉄五郎)は彰義隊員として敗亡の身を厚田に定住させた。
祖父梅谷十次郎(通称斎藤鉄五郎)は彰義隊員として敗亡の身を厚田に定住させた。
北海中学を経て、1914年(大正3)明治大学法学部卒業。
釧路(くしろ)毎日新聞社入社。18年上京し読売新聞社に入社、千葉亀雄、沢田撫松(ぶしょう)ら
と親交を結ぶ。
釧路(くしろ)毎日新聞社入社。18年上京し読売新聞社に入社、千葉亀雄、沢田撫松(ぶしょう)ら
と親交を結ぶ。
26年東京日日新聞社に転籍。
史実と巷説(こうせつ)を現地踏査によって再構成し、
新選組の隊士らの実相を描いた『新選組始末記』(1928)、『新選組遺聞』(1929)、
『新選組物語』(1932)の三部作を完成。
新選組の隊士らの実相を描いた『新選組始末記』(1928)、『新選組遺聞』(1929)、
『新選組物語』(1932)の三部作を完成。
33年(昭和8)以来文筆専業となる。
高橋泥舟(でいしゅう)の生涯を綴(つづ)った『逃げ水』(1959)、勝小吉(こきち)・
麟太郎(りんたろう)(海舟(かいしゅう))父子を描いた『父子鷹(おやこだか)』(1955~56)、
『おとこ鷹』(1960)など幕末遺臣と江戸への挽歌(ばんか)を点綴(てんてつ)した
一連の作品により第10回菊池寛賞を受賞(1962)。
随筆集『ふところ手帖(てちょう)』(1961)も好著として知られる。昭和43年7月19日没。
高橋泥舟(でいしゅう)の生涯を綴(つづ)った『逃げ水』(1959)、勝小吉(こきち)・
麟太郎(りんたろう)(海舟(かいしゅう))父子を描いた『父子鷹(おやこだか)』(1955~56)、
『おとこ鷹』(1960)など幕末遺臣と江戸への挽歌(ばんか)を点綴(てんてつ)した
一連の作品により第10回菊池寛賞を受賞(1962)。
随筆集『ふところ手帖(てちょう)』(1961)も好著として知られる。昭和43年7月19日没。
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2009/10/21 00:14:42
厚田村
厚田村(あつたむら)は、
石狩支庁北部にあった厚田郡に所属していた村。
村名の由来は、
アイヌ語の at-ta アッタ[オヒョウニレの樹皮・採る]に因む。
オヒョウニレの樹皮はアイヌの服飾原料・繊維。
厚田村は、日本海沿岸に位置するため北海道では開拓が早く
1600年代からニシンなどの漁場として開かれ、江戸時代には松前藩に
よってアツタ場所が開かれていた。
2005年10月1日、浜益村と共に石狩市へ編入され、厚田村区域は
石狩市の地域自治区「厚田区」となった。
厚田公園展望台は、愛を誓い合い、プロポーズするのにふさわしい
観光スポット100カ所を選定する「恋人の聖地」プロジェクトで、
平成18年7月北海道で初めて選出された場所。
雄大な海岸線や日本海に沈む夕日が大変美しく見える展望台で
「誓いの鐘」というベルや、恋人たちが固く結ばれることを願ってかける
南京錠を取り付けるためのフェンスが設置されています。
国道231号を北へ約30キロ進むと、愛冠岬(あいかっぷみさき)をハート形
のアーチ越しに望むことができる石のモニュメント「ラバーズ・オーシャン」があります。