2009/01/29 00:20:23
小樽運河1
海上に停泊した船舶からの貨物の荷揚げには
艀(はしけ)舟が使われ、運河方式ともいうべき荷揚げスタイルは
戦後の樺太輸送の断絶と、太平洋側の苫小牧港の整備、
小樽港湾内の埠頭の整備によって衰退していきました。
艀(はしけ)舟が使われ、運河方式ともいうべき荷揚げスタイルは
戦後の樺太輸送の断絶と、太平洋側の苫小牧港の整備、
小樽港湾内の埠頭の整備によって衰退していきました。
小樽運河は邪魔にされている時代もありました。
無用の長物と化し、放置されていた小樽運河はヘドロがたまり悪臭
が漂うようになり。
1960年代に入り、運河を埋め立てて、道路として整備する方針が
小樽市から打ち出されました。
それに対し運河の保存運動が全国規模で高まり、小樽市側は当初の
全面埋め立てに対し、運河の半分の幅を残す妥協案を提示するが、
保存派と意見が折り合わないまま、1983年には埋め立て工事に着手した経緯があります。
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