2010/01/19 00:47:09
アイヌ文化 12
1960年代になると、生活上の格差や困窮の解消のために、アイヌの
人たちが多く暮らす地域で集会施設(生活館)や共同作業所などを設置
する環境整備事業が開始されました。
また、昭和49(1974)年からは、住居・就労・修学などの面での個人対
策も盛り込んだ「北海道ウタリ福祉対策」が開始されました。
これは7ヶ年の計画でしたが、その後も施策の重点や名称を変えながら
現在まで継続されています。
昭和59(1984)年に北海道ウタリ協会は、アイヌ民族の基本的人権
を回復し差別をなくすこと、政治にアイヌ民族代表の意見を直接反映で
きるようにする特別議席、教育・文化面における総合的な施策実施、経
済的自立のための農業、漁業、林業、商工業等の諸条件整備などを求
めた「アイヌ民族に関する法律」案を作り、提案しました。
そして、この新しい法律の制定を北海道や政府、国会などに働きかけていきました。
とくに昭和61(1986)年、当時の中曽根康弘総理大臣が「日本は単一民族国家」
「日本国籍をもつ方々で、差別を受けている少数民族はいない」と発言した問題など
を契機としてアイヌ民族をめぐる議論や運動が活発になっていきました。
また、先住民族の権利をめぐる世界の動向に関心が払われるようになり、海外との
交流も積極的に行われるようになりました。
さらに、こうした動きを背景にアイヌ民族として初めての国会議員が生まれました。
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