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北方領土問題 65gol-152mm_how_M1910-30cut.jpg

 

ノモンハン事件 7

 

戦争の経過

 

第一次ノモンハン事件(511-531日)

係争地では満州国軍とモンゴル軍がパトロールしており、たまに遭遇し交戦することがあった。
511日、12日の交戦は特に大規模なものであったが、モンゴル軍、満州国軍がともに「敵が侵入してきたので損害を与えて撃退した」と述べているため、真相不明である。

 

23師団長の小松原道太郎中将は、モンゴル軍を叩くために東八百蔵中佐の師団捜索隊と2個歩兵中隊、満州国軍騎兵からなる部隊(東支隊)を送り出した。

515日に現地に到着した東支隊は、敵が既にいないことを知って引き上げた。しかし、支隊の帰還後になって、モンゴル軍は再びハルハ川を越えた。

gol-ki-27b_otsu_nate_on_flight-line.jpgこの頃、上空では日本軍とソ連軍の空中戦が頻発し、日本機は自国主張の国境を越えてハルハ川西岸の陣地に攻撃を加えた。両軍とも、敵の越境攻撃が継続中であると考え、投入兵力を増やすことを決めた。

521日に小松原師団長は再度の攻撃を命令した。出動した兵力は、歩兵第64連隊第3大隊と連隊砲中隊の山砲3門、速射砲中隊の3門をあわせて1058人、前回に引き続いて出動する東捜索隊220人(九二式重装甲車1両を持つ)、輜重部隊340人、さらに満州国軍騎兵464人が協同し、総兵力2082であった。指揮は歩兵第64連隊長山県武光大佐がとり、山県支隊と呼ばれた。


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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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