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北方領土問題 70250px-6717_-_Moscow_-_Poklonnaya_Hill_-_Artillery.jpg

 

ノモンハン事件 12

 

第二次ノモンハン事件

 

砲兵支援下の総攻撃は、723日に始まった。

内山少将率いる砲兵団は15センチ加農砲から7.5センチ野砲までの82門をもっていたが、このうち西岸のソ連軍砲兵陣地まで届く砲は46に過ぎなかったうえに、充分な数の砲弾を準備することができなかった。

更に、東岸より西岸の方が標高が高かったことが致命傷になった。ソ連側の砲兵は日本側の砲兵を見下ろすかたちで砲撃することができたのである。

このため、次第に日本軍砲兵はソ連側の砲撃に圧倒された。またソ連軍は前回の攻撃の末期にあたる712日から歩兵の増援を受け取っており、総攻撃はわずかに前進しただけで頓挫した。日本軍は3日間の戦闘で攻勢をあきらめ、冬営に向けた陣地構築に入った。

 

日本軍は725日までに参加兵力の3分の1にあたる約5000人を失った。攻撃を停止した日本軍は、敵の砲撃を避けてハルハ川から離れ、ハイラースティーン(ホルステン)川両岸に西向きに布陣した。北に離れたフイ高地には渡河攻撃を断念したときから小部隊がおかれており、反対の南側の左翼では限定的な攻撃を行って翼を延伸した。ソ連軍も各所で小規模な攻撃を試みたが撃退され、820日まで戦線は膠着状態になった。

84日、日本軍はノモンハン戦の指揮のために新たに第6軍を創設し、荻洲立兵中将を司令官に任命した。これより先、ソ連は721日に第57狙撃軍団を第1軍集団に改組し、引き続きジューコフに指揮をとらせた。


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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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