2012/10/23 07:50:18
厚田村(あつたむら) 3
明治時代に入ると、本州から続々と集団移民が始まり、
厚田にも多くの人々が入植した。
明治4(1872)年以降、山形県14戸をはじめとし山口県127戸、石川県42戸、
兵庫県30戸のほか、南部団体(岩手、青森県)、新潟県などから入り、
望来(もうらい)、聚富(しゅっぷ)(しっぷ)、発足(はったり)、正利冠(まさりかっぷ)
などで開墾が進んだ。
そのような中に、彰義隊に参加し箱館戦争に敗れ捕虜となり釈放された
梅谷十次郎(通称斉藤鉄太郎又は鉄五郎)がいた。
彼は子母澤 寛(本名・梅谷 松太郎)の祖父である。
網元となり、旅館と料理屋を兼ねた「角鉄」も経営し村の顔役となり、
御家人くずれのやくざ風な人だったらしい。
(写真は、今の厚田漁港の朝市)
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