2013/06/07 15:25:06
吾妻謙(あづまけん・又はあがつまけん)
1869年(明治2年)9月、岩出山領主伊達邦直は仙台藩の中で先陣を切って
北海道開拓を発表した。
家老であった吾妻謙を開拓主事に任命、北海道開拓志願書を新政府に提出したのである。
明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した岩出山は官軍と交戦した。
山形で勝ち戦功を挙げたが、味方の多くは官軍に下ったため戦に敗れる。
戦後、それまで14000石あった禄高を65石に減封された上、城は召し上げられ家臣の士分
を剥奪された。
侍ではなくなった家臣たちは帰農を命ぜられたが、邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い、
私財を処分して得た資金で、新政府の推し進めていた北海道開拓を志願する。
願は許され、1869年(明治2年)に石狩国空知郡の支配を命ぜられた。
しかし、この空知郡は内陸部に位置し、物資の輸送等が困難であったことから、海岸近くへ
の移転を申し入れた。
叶わず再度家老の吾妻謙が太政官に申し入れたところ、今度は不届きを理由に吾妻が
自宅謹慎を命ぜられる始末であった。
(写真は、当別神社)
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