2010/01/23 00:30:56
松前町 1
松前地方の名が歴史上最初に現れるのは、
『続日本紀』の養老四年(720年)の記事に
「渡島津軽津(わたりしまつがるつ)」の記述があります。
渡島は蝦夷地を指し、津軽津は津軽地方への渡し口である
松前付近の地です。
(津軽津は、津軽地方であるという説と松前地方とする説とが
あって、現在では松前地方であるとする説が有力です。)
松前の様子が歴史上初めて現れるのは、14世紀の
『諏訪大明神画詞』のなかの「万堂宇満伊犬(まとうまいぬ)」という地名です。
同書によると東北の大海の中央に蝦夷島があり、
日の本(ひのもと)・唐子(からこ)・渡党(わたりとう)の三類が居住していたと言われています。
松前町内の地名は、アイヌ語を漢字で表したものが多く、
「松前」という語源もアイヌ語にあると考えられています。
「婦人の居るところ」つまり、アイヌの住む地に和人の女性も住むという珍しさを表したものだと思われます。
『続日本紀』の養老四年(720年)の記事に
「渡島津軽津(わたりしまつがるつ)」の記述があります。
渡島は蝦夷地を指し、津軽津は津軽地方への渡し口である
松前付近の地です。
(津軽津は、津軽地方であるという説と松前地方とする説とが
あって、現在では松前地方であるとする説が有力です。)
松前の様子が歴史上初めて現れるのは、14世紀の
『諏訪大明神画詞』のなかの「万堂宇満伊犬(まとうまいぬ)」という地名です。
同書によると東北の大海の中央に蝦夷島があり、
日の本(ひのもと)・唐子(からこ)・渡党(わたりとう)の三類が居住していたと言われています。
松前町内の地名は、アイヌ語を漢字で表したものが多く、
「松前」という語源もアイヌ語にあると考えられています。
「婦人の居るところ」つまり、アイヌの住む地に和人の女性も住むという珍しさを表したものだと思われます。
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