2009/08/11 00:49:41
斜里郡
写真は「斜里岳」
斜里郡(しゃりぐん)は、北海道網走支庁に所属する郡。
斜里町(しゃりちょう)清里町(きよさとちょう)小清水町(こしみずちょう)の
3町を含んでいる。人口は約23,000人(2009年3月)
江戸時代の斜里郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって
シャリ場所が開かれていた。
寛政8年(1797)には斜里神社が創建されている。
江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの
脅威に備え、文化4年(1807年)斜里郡域は天領とされ津軽藩
が出張陣屋を築き警固をおこなった。
この時、シャリで越冬時に多数犠牲者を出した津軽藩士殉難事件
がおこっている。
津軽藩士殉難事件とは
1807年、幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩の藩士100余名のうち、越冬中の厳しい寒さと栄養不良による浮腫病により72名が死亡したもの。
斜里でも弘前でも殆ど知られなかったが、藩士斎藤勝利の残した「松前詰合日記」が1954年に見つかり、はじめて殉難が明らかになった。1973年に津軽藩士殉難慰霊の碑が建立され、慰霊祭が毎年行われている。1983年には「弘前ねぷた」が斜里町に伝授された。
文政4年(1821年)には一旦松前藩領に復したものの、安政2年(1855年)再び天領となり今度は会津藩が警固をおこなった。
1869年8月15日に斜里郡が置かれる。北海道北見国に含まれた。
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