2011/07/25 16:22:07
写真は、五稜郭から写した「五稜郭タワー」です。
箱館奉行所は、現在の元町公園に置かれていた江戸幕府の役所です。
今は、公園内に「箱館奉行所跡」の杭があるだけです。
安政元年(1854)の日米和親条約により、箱館と下田が開港されますが
この箱館を治めるために幕府が設置した「箱館奉行所」では、港湾から
近く防備上不利であったことなどから、内陸の亀田の地に移すことにな
誰が五稜郭を作ったのか?
蘭学者の武田斐三郎(たけだ あやさぶろう)に新しい要塞の設計を命じます。
「武田は緒方洪庵塾に入門し、洋学諸術を学び、ペリー艦隊が浦賀に来航した際
には佐久間象山の門下にいた。様式軍学者として製鉄、造船、大砲、築城などに
明るく、箱館開港後は箱館諸術調所の教授として活躍していた」
安政4年(1857)から五稜郭の築造が始まり、7年後の元治元年(1864)に役
所建物などがほぼ完成。箱館山麓の奉行所が移転して五稜郭の中で業務が開始さ
れ、蝦夷地の統治や開拓、開港地箱館の諸外国との交渉など幕府の北方政策の拠
点となりました。
明治維新後解体!
大政奉還により明治新政府の役所に引き継がれますが、戊辰戦争最後の戦いと
なる箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年(1871)に開拓使に
より奉行所庁舎を含むほとんどの建物が解体され、大正時代以降は公園として一
般に開放されていました。
函館市では、五稜郭内にあったが箱館奉行所が失われたままでは本来の姿が理
解されにくいことから復元の整備を進めておりました。史実に忠実な復元が進み
平成22年に140年の時を超えて箱館奉行所が再現されました。
但し、復元範囲は当時の1/3あたります。
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