忍者ブログ
2025 02
≪ 2025 01 12 3 4 5 6 7 89 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 2223 24 25 26 27 28 2025 03 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



高田屋嘉兵衛(たかたや かへえ)

 

高田屋嘉兵衛は
司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公です。
05c7d317.jpeg

護国神社へと通じる高田屋通り、函館山を背に高く
そびえ立つ3.6メートルの銅像。

帯刀し、右手には松前奉行からの論書を、左手には正装
に着替えた際に脱いだ衣装を持つ高田屋嘉兵衛像です。

 

1769年、淡路島に百姓の子供として生まれる。
その後、28歳のときに蝦夷箱館に来航。

箱館を本拠地として海運業を始めた。
その後、当時の幕府にその才能を認められ、
千島方面、現在の北方領土の航路を拓く命を受け、
択捉島、根室に港を開き、巨万の富を得る。

しかし、その富を自分のために使うのではなく、道路の改修、
漁業の開発、函館山への植林など、函館の発展のために使っていった。
また、1806年の函館大火の際には、被害にあった市民に物資を救援し、
今後のためにと井戸とポンプを寄贈した。
このように、高田屋嘉兵衛は北方の航路を拓くだけではなく、
函館の経済に大きく貢献した。

そして1811年、南下政策を進めていたロシア軍のゴローニン海軍中将が、
国後島を測量中に幕府によって捕らえられ、
日本に抑留されたという「ゴローニン事件」が起きた。
これをうけてロシア軍は、翌年、リコルド少佐により国後沖で高田屋嘉兵衛等
を拿捕し、日本とロシアの関係は最悪のものとなった。
しかし、獄中からの嘉兵衛の必死な説得により、ついに翌年、嘉兵衛との交換
でゴローニンが開放されることとなった。
もし嘉兵衛の説得が無かったならば、日露戦争が勃発していただろうとも言われている。

高田屋嘉兵衛

PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
HN:
上家二三夫
性別:
男性