2010/03/24 00:37:54
北海道の政治家
五十嵐広三
1943年に道立旭川商業学校卒業後、雑穀商・
民芸会社・地方新聞社などを手広く経営。
民芸会社・地方新聞社などを手広く経営。
また北海道の文学者やアイヌ民族との親交も深い。
1963年(37歳)のとき社会党から旭川市長に立候補
して当選。
当時の全国最年少首長となる。
して当選。
当時の全国最年少首長となる。
3期12年の市長在任中は日本初の恒久的な「歩行者天国・平和通
買物公園(1972年)」、「旭山動物園(1967年)」を開設するなど、
アイデア市長として全国に知られた。
買物公園(1972年)」、「旭山動物園(1967年)」を開設するなど、
アイデア市長として全国に知られた。
旭川市長辞職後に、1975年、1979年の2度にわたり北海道知事選挙
で革新統一として立候補
するも、いずれも保守系現職の堂垣内尚弘に敗れる。
で革新統一として立候補
するも、いずれも保守系現職の堂垣内尚弘に敗れる。
1980年、第36回衆議院議員総選挙に日本社会党より出馬し初当選
(旧北海道2区)。以後通算当選5回。
(旧北海道2区)。以後通算当選5回。
1993年、細川内閣において建設大臣に就任し、歴代大臣として初め
て長良川河口堰事業の見直しに着手する。
ただし、撤回・廃止等には至らず、結局2代あとの建設大臣野坂浩賢
が運用開始に踏み切った。
て長良川河口堰事業の見直しに着手する。
ただし、撤回・廃止等には至らず、結局2代あとの建設大臣野坂浩賢
が運用開始に踏み切った。
1994年、村山富市内閣の内閣官房長官として自社さ連立政権を支える。
1996年、政界を引退。
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