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ニッカウヰスキ-北海道余市原酒工場
 
余市は古くから果樹栽培が盛んで、ワインぶどう、生食ぶどう、リンク、
梨の生産量で道内第一位である。967022a5.jpeg
1934年(昭和9年)にニッカウイスキーが創業した地としても知られ、
スコットランドの情緒あふれる余市蒸留所は今でも伝統的な製造法を
守っており、観光名所となっている。
創業者の竹鶴政孝は、気候がスコッチウイスキーの王国スコットランド
に似ていたことと、ウイスキーの製造に欠かせないピート(泥炭)が入手
できたことから、この地を選んだと言われる。
 

ニッカウヰスキ-といえば「モルト」だ。
モルトだけでつくれば絶対うまいウイスキ-ができるような幻想が潜んでいる。
しかし、そのモルトは温度、湿度、水、気候風土といった自然の恩恵を決して
忘れない。
ニッカの故郷・余市では今なお蒸留釜を北海道産の微紛炭で焚く。
直火でゆっくり、ぷらぷらと焚くのである。低温多湿な貯蔵庫で熟成の眠りに
ついてからも、北のモルトは急がない。効率は甚だ悪い。が、それゆえ完熟の域に至る。

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余市
 
余市の町が世界に発信されたのは「毛利衛さん」の功績が大です。ecd03502.gif
 
1992年、毛利衛さんは日本人初のNASA宇宙飛行士として宇宙に
挑みました。
飛行船の中で、「りんご」が投げられた光景は今でも目に焼きついて
いる人は多いと思います。
 
「スペ-ス童夢」
日本人科学者として初の宇宙飛行士 毛利衛さんが宇宙に挑んだの
を記念して建てられた余市宇宙記念館「スペ-ス童夢」は毛利さんが
実際に行った宇宙実験や毛利さんからの子どもたちへのメッセ-ジ、
更には、最新のバ-チャル技術による様々なアトラクションを通して
宇宙の神秘や宇宙開発の歴史を学ぶことができる体験型学習施設です。
 
しかし、残念ながらこの余市宇宙記念館は平成20年12月18日で休館となりました。

余市町
 21,828人

余市は江戸時代から大正時代にかけて日本海で隆盛した鰊漁の主要港
のひとつであり、83dd1d6a.jpeg
明治時代には日本で初めて民間の農家がリンゴの栽培
に成功するなど、
現在でも漁業と農業(特に果樹農業)がともに盛んな地
となっている。
また、ニッカウヰスキーの創業地、民謡ソーラン節発祥の有力地としての
顔も持つ。
 
町内にはフゴッペ洞窟をはじめとする縄文時代から続縄文時代の遺跡が
多く、
古くからアイヌの人々が定住する地。
江戸時代初期に松前藩の商場知行制・場所請負制が敷かれると、
良港として使用
できた現在の余市町域には、和人によるアイヌ交易の拠点
として
「上ヨイチ場所(運上屋)」「下ヨイチ場所(運上屋)」の二つが置かれた。
この「ヨイチ」という地名については、余市川を指すアイヌ語地名
「イオチi-ot-i(それ<蝮>・群棲する・もの(川流域))」を起源とし、
アイヌ語地名では二重母音を忌避する性質があることから、
アイヌ語では「イヨチi-y-ot-i」と、「y音」を添加したが、後に和人の入り込みに伴い、
「イヨチ」が「ヨイチ」へと言い習わされるようになり、それに漢字が充てられて、
「余市」という現在の表記になったと考えられる。
現在、「下ヨイチ運上屋」が国の指定史跡として残っているが、これは全国唯一の運上屋遺構である。


仁木町(にきちょう)
 
3,892人
仁木町は、北海道有数の果樹生産地帯です。aad7aae2.jpeg
くだもの狩り観光や生産直売の歴史も古く、
昭和三十年代よりりんご狩りが始まっています。
 
1879年(明治12年)に、
仁木竹吉(にきたけよし)ら360余名が徳島県(現在の徳島県吉野川市)
から集団で入植したのが和人定住の始まりで、翌年に仁木村が成立した。
仁木町の名は仁木竹吉にちなむ。

山口県からの移民を中心に、1883年(明治16年)に大江村が成立した。
大江は、山口県を支配した毛利氏の子孫とされる大江広元にちなむ。

仁木では早くからリンゴの栽培が盛んで、現在まで果樹園が広がる。
一方、大江では米作りが盛んであったので、稲と林檎が町の産業の二つの柱であった。
20世紀後半になるとさくらんぼ、ぶどうも加えた果樹の比重が高まった。
 
緑あふれる施設 (写真)
広い園内には仁木町名産のさくらんぼ、りんご、ぶどう、といった果物はもちろん、
ラベンダーやコスモス等の花々を栽培する他、遊具、レストラン、地域特産品販売所、
宿泊施設も完備しております。

◆お問い合せ:0135-32-3500
◆入場無料、無料駐車場完備
◆営業期間:4月~10月
◆営業時間:9:00~18:00


神恵内イベント

沖揚げまつりosukoi30.jpg

平成21年度も沖揚げまつりを開催する予定です。


以下は、平成20年度の内容です。

開催日/平成2076日(日)雨天決行
会場/神恵内イベント広場
連絡先/0135-76-5115
神恵内沖揚げまつり実行委員会事務局(神恵内村商工会)
時間/10:00~15:00(予定)
駐車場/有り(無料)


プログラム
 1000 開会式・沖揚音頭
 1115 岩内高等学校吹奏楽部演奏
 1200 ソーラン演舞(神恵内小学校)
 1230 松前神楽
 1300 鮮魚即売会
 1340 ホタテ釣り(大人の部)
 1430 餅まき

 1030~随時実施 ホタテ釣り(子供限定)



神恵内村
(かもえないむら)

 

1,097rekishi_01_j01.jpg

明治から大正にかけての神恵内は、

そりゃあもう景気がいがったねぇ。

神恵内くらい鰊の捕れたことなかったんでないかい。

明治40年のはじめ頃だったら古宇川まで
2回ほどだったか鰊があがってきたこともあったもんな。

大漁が続いたもんで、みんな借金してでも袋澗さこしらえた。

冬に石割り、暖かくなってから工事さ。」

 

日本海に突き出た積丹半島西側の神恵内村。

地形が厳しく人が近づき難いところの由来のとおり、
山を背に負い、海岸線は断崖絶壁が連なる北海道でも屈指の景勝地です。

 



泊村
(とまりむら)

 

人口 2,015

北海道の西に突き出ている積丹半島。67d8bfa2.jpeg

約400年前の慶弔6年(1601年)の開基を持つ泊村は、
泊、盃の
二つの漁港を持ち、鰊景気で栄華を極め泊村には、
全国各地から大勢の
ヤン衆が押し寄せる漁業の全盛期でした。

また、1856年には北海道最古の茅沼炭鉱が発見され、
炭鉱でも栄えたところです。

しかし、その後の鰊場の衰退、国のエネルギー政策による
炭鉱の閉山、
さらに長引く漁業不振などという相次ぐ苦境を乗り越え、

1989年(平成元年)北海道電力泊原子力発電所1号機が
運転開始されました。

今は北海道初の原子力発電所を有し、
北海道の電気の3分の1を供給するエネルギー基地でもあります。

発電所の固定資産税や国の電源開発交付金により、
同村は北海道内の市町村で唯一、地方交付税を受け取っていない不交付団体です。

1989年(平成元年)622日 北海道電力泊原子力発電所1号機運転開始。

1991年(平成3年)412日 北海道電力泊原子力発電所2号機運転開始。



神仙沼自然休養林展望台
(共和町)

 

しんせんぬましぜんきゅうようりんてんぼうだい
kyowa01.jpg

札幌から国道5号経由、
国道276号から道道877号、
道道66号、車で150

共和町前田後志森林管理署内 0135-73-2011

 

ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園の
エリアに含まれる神仙沼自然休養林には、
ニセコ山系の中でも最も美しいといわれる神仙沼、
日本一のフサスギナの群生地である大谷地湿原を有し、
遊歩道・休憩所・駐車場・展望台が整備されている。

展望台は休憩所のそばにあり、
広大な岩内平野、共和町の美しい田園風景や日本海、積丹半島の山並みを一望できる。



共和町
 
世帯数/2,910戸 人口/6,800人
明治13年 戸長役場が置かれて発足村となる。r_suika_1.jpg
 
【観光名所など】
神仙沼自然休養林、大沼、長沼、神仙沼自然休養林展望台、
西村計雄記念美術館、かかし古里館、幌似鉄道記念公園、
紫陽花寺(明善寺)
 
【イベント】
共和かかし祭(8月下旬)、雪じゃれ広場(2月)
 
主な産業は農業。古くからの稲作地帯である。
スイカのブランドとして、「らいでんスイカ」が有名ではあるが近年では
メロンやそのほかの農産物にもらいでんの名前がつき、らいでんブランドが確立されつつある。

発足の西瓜生産組合は、41年前に設立された。
共和町の中でも稲作には適さない山間の土地を持つ発足地区の一軒の農家が、
試行錯誤を重ねて行き着いたのがスイカの栽培だったという。
石が多く、地温があがりやすく、水はけの良い土地や温暖な気候は、スイカの栽培には適していたのだ。



西村計雄記念美術館 (共和町)
 
1909(明治42)年小澤村(現・共和町小沢)に生まれ。94e48893.jpeg
幼少のころより画家を志し、
1929年東京美術学校(現・東京芸術大学)
に入学、藤島武二に師事。
1943年、文展(現・日展)特選。
戦後早稲田中学校と高等学校の教師を
勤め、
1951年、42歳で単身渡仏する。
ピカソの画商カーンワイラー氏との出会いを契機に、
1953年よりパリ
を中心にヨーロッパ各地で個展を開催。
その作品は、フランス国立近代美術館やパリ市美術館に買い上げとなった。
クリティック賞、勲三等瑞宝章など受賞多数。
2000年12月4日、東京にて逝去。
2002年、4月5日、「東京のアトリエ」公開。
2007年、パリ6区グランゾーギュスタン通りに、日本人画家として
初めて記念プレートが設置される。
 
住所   北海道岩内郡共和町南幌似143-2 TEL0135-71-2525
 
開館   午前9時~午後5時
休館   月曜日・年末年始(月曜が祝日の場合はその翌日)
入館料 一般500円 高校生200円 小中学生100円


2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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