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札幌市 清田区

114,788人(人口、2009年9月30日)

清田区(きよたく)は、1997年豊平区の東部を分区して設置された。

 

清田区の中心部はかつて「あしりべつ」と呼ばれていました。

明治6年(1873年)に月寒開拓団の一員であった長岡重治(ながおか じゅうじ)が

「あしりべつ」へ居住したのが最初の入植と言われています。

その後個別に一戸、一戸と増え、明治34年(1901年)頃、清田、真栄、北野の厚別川

周辺の稲作と平岡、里塚、有明の畑作が定着してから集落として成り立つようになり、

旧集落は厚別(アシリベツ:現在の清田、北野、平岡、真栄を総称)、三里塚(現在の里塚)、

公有地(現在の有明)と呼ばれていました。
 

安政4年(1857年)に開通した札幌越新道(銭函~星置~島松~千歳)は、明治5年

1872年)開拓使顧問ケプロンの建言によって、札幌~千歳間を整備し札幌本道(室蘭街道)

と呼ばれるようになり、現在の国道36号のもととなりました。

苫小牧・室蘭からの主要道路で、旅人の便宜を図るため、明治2年(1869年)頃木村某

通行屋を営みました。その後長岡徳太郎(ながおか とくたろう)が通行屋を経営し、札幌市

東南部の玄関口として利用されてきました。

明治24年(1891年)に吉田善太郎(よしだ ぜんたろう)らが厚別川に用水路を建設し 、また

大正10年(1921年)頃から平岡、里塚ではリンゴ栽培が始まり、稲作技術の改良も進み、

厚別川の周辺には水田が広がり、酪農も畑作地帯で始まっていきました。
 

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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