2012/11/05 08:52:46
大正6年、天塩軌道会社創立発起人の大久保虎吉ら
によって士別―上士別間の馬車軌道敷設が出願された。
士別御料地に属していた天塩川上流地域の山林は、
明治末期から大量の良材が伐採されていた。
大正8年に下付され8月に工事は着手され、翌年6月に
士別―上士間(14.5キロ)が単線で開通し営業が開始さ
れた。
次いで、上士別以遠の延長工事に着手し、大正14年6月
には上士別―奥士別間(現・朝日町中央)6.9キロが開通。
士別軌道は設立当初、木材輸送を主目的としていたが、
奥地開発の進展に伴い農産物や日曜雑貨の輸送・旅客
が増加し、馬力から蒸気に変更、昭和3年9月に蒸気機関
車4両、貨車50両を導入。
士別―奥士別(21.4キロ)の所要時間1時間40分。
更に、天塩川上流の国有林を管理する帝室林野管理局
によって昭和50年以降、総延長51.4キロの森林鉄道を
奥士別を基点にして敷設された。
その森林鉄道の貨車は士別軌道に乗り入れて士別へ
輸送されたので、士別は木材の集散地として発展した。
営林局経営の森林鉄道が昭和33年に廃止となり、
士別軌道も撤退し34年10月には軌道をバス事業に転換した。
(写真は明治中期に上士別に移住した岐阜県民)
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