2011/09/06 00:02:49
明治7年 屯田兵の開始
屯田兵の開始
屯田制を北海道に実施するという考えは、明治初年から様々な方面に
生まれていました。最初のものは、徳川家の遺臣を移して北方警備と
開墾に従事させようとする榎本武揚の考えで、彼はこの計画を掲げて
新政府と函館戦争を戦ったものです。
政府内の提案としては、明治3年(1870年)11月に開拓使が行なっ
たものがはじめです。
ついで西郷隆盛が明治4年から明治6年にかけて士族による北方警
備と開拓を主唱。西郷は計画の実現をみることなく下野したが、彼
の影響で開拓次官の黒田清隆が1873年11月に太政官に屯田制を建
議しました。
樺太と北海道の兵備の必要と、そのための費用を憂え、
「今略屯田の制に倣い、民を移して之に充て、且耕し且守るときは、
開拓の業封疆の守り両ながら其便を得ん」というものでした。
黒田が考えたのも士族の活用であったが、彼の場合旧松前藩と東北
諸藩の貧窮士族を想定していました。太政官は黒田の提案に賛成し
、明治7年(1874年)に屯田兵例則を定めます。
明治8年(1875年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田が
開始されました。
屯田兵の開始
屯田制を北海道に実施するという考えは、明治初年から様々な方面に
生まれていました。最初のものは、徳川家の遺臣を移して北方警備と
開墾に従事させようとする榎本武揚の考えで、彼はこの計画を掲げて
新政府と函館戦争を戦ったものです。
政府内の提案としては、明治3年(1870年)11月に開拓使が行なっ
たものがはじめです。
ついで西郷隆盛が明治4年から明治6年にかけて士族による北方警
備と開拓を主唱。西郷は計画の実現をみることなく下野したが、彼
の影響で開拓次官の黒田清隆が1873年11月に太政官に屯田制を建
議しました。
樺太と北海道の兵備の必要と、そのための費用を憂え、
「今略屯田の制に倣い、民を移して之に充て、且耕し且守るときは、
開拓の業封疆の守り両ながら其便を得ん」というものでした。
黒田が考えたのも士族の活用であったが、彼の場合旧松前藩と東北
諸藩の貧窮士族を想定していました。太政官は黒田の提案に賛成し
、明治7年(1874年)に屯田兵例則を定めます。
明治8年(1875年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田が
開始されました。
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