2009/10/16 00:38:09
南幌町
8,985人(人口、2009年6月30日)
地名の由来は、元々はアイヌ語の
「ポロモイ(湾曲して緩やかに流れる所)」から。
当時は漢字で「幌向(ほろむい)」と表記されていたが
現在の岩見沢市に同名の地名があって紛らわしいため
町制施行の際に現在の「南幌」となった。
長く過疎地域に指定されていたが、1990年代に札幌市の
ベッドタウン化が進み、
人口が5,000人台から9,000人台まで急増した。
開拓の歴史。
それは同時に水との闘いの歴史でもあった。
蝦夷地探検の第1人者、松浦武四郎が千歳川・夕張川を調査
したことにより南幌町に初めて光があてられることになります。
明治19年(1886年)に新潟県から10戸の入植があり、
幌向原野に越後村を開きました。
その後入植団体が相次ぎ、明治26年(1893年)に宮城県から
石川邦光が77戸250人余りを引き連れて入植し、石川部落をつくりました。
この年、岩見沢村・幌向(現南幌町)村、栗沢村が戸長役場となり、南幌町開基の年となりました。
氾濫を繰り返す夕張川の治水にあたったのが、
保原元二技師で明治43年から工事が完成するまでの27年間を夕張川治水事業に尽くしました。
PR