幾春別川の紹介
幾春別川は、北海道の夕張山地中央部に端を発し、三笠市、岩見沢市を貫流して
北村で石狩川に合流する、流路延長59km、流域面積332平方kmの河川です。
上流部には深い山々に囲まれた桂沢湖があり、川が刻んだ周囲の渓谷からは、
エゾミカサリュウやアンモナイトなど、数多くの貴重な化石が出土しています。
中流部から下流部にかけては、石狩平野を蛇行しながら流れ、周囲の水田地帯を潤しています。
北海道にまだ人があまり住んでいなかったころ、幾春別川
にはさけはもちろん、多くの魚が住んでいました。
やがて、三笠で石炭が発見されると、鉄道が敷かれ、
多くの人々がやってくるようになり、岩見沢のまちができあ
がってきました。
岩見沢という地名にも残っているように、石炭を掘る人々は、幾春別川のほとりで
湯浴みをし、仕事の疲れをいやしていました。
このころのいわみざわの街は、幾春別川や石炭と一緒に発展し、人々の生活も川と密接に
関わっていました。 しかし、人々があつまり、石炭が盛んに掘り出されるにつれて幾春別川
は汚れていきました。
炭鉱が最も盛んだったころには、上流から流れてくる石炭のカスで、
川は真っ黒に汚れていきました。
また、昔から幾春別川は大雨のたびに洪水を繰り返してきたことから、
人々の暮らしを守るため、大掛かり な工事が行われ、川はまっすぐになり、コンクリート
の護岸も増えていきました。
昭和32年には、三笠市の桂沢に大きなダムもつくられました。
これにより川の水の流れはよくなり、洪水はずいぶん減りましたが、その反面で、あんな
にたくさんいた鮭はいなくなり、ほかの魚も減っていきました。
川で遊ぶ子どもたちの姿も減っていきました。
何年もそんな状態がつづきましたが、石炭があまり使われなくなって上流の炭坑が減る
と徐々に川はキレイ になり、少しずつ川の良さが見直されはじめました。
そして平成3年10月、おおよそ100年ぶりにサケが帰ってきました。
このことをきっかけに、幾春別川にさけをもう一度呼び戻そうと、翌年から稚魚の放流が
開始されました。
平成5年には岩見沢市で「幾春別川をよくする市民の会」がつくられ、
続いて三笠市や北村にも、市民の会 がつくられました。
現在、これらの団体が中心となって、幾春別川を良くしていこうと努力しています。