2009/10/20 00:50:29
石狩市
明治時代になると、
愛知県や石川県、高知県などから移住者が入り、
花畔(ばんなぐろ)村、生振(おやふる)村、樽川(たるかわ)村
の三つの村ができ、近代的な開拓が始まります。
石狩の平野部は砂地のため、最初は畑作のほか酪農が
さかんにおこなわれました。
水田は開拓民の悲願でしたが、砂地での水田耕作は難しく、さまざまな
試行錯誤が繰り返された後、昭和3年(1928年)、花畔(ばんなぐろ)地区
の農民たちによって本格的な水田耕作に成功し、市内の水田は飛躍的に
増加しました。
戦後も食料難から造田への意欲は高く、町民あげて大規模な造田工事が
おこなわれ、水田地帯にかわりました。
昭和30年代には、札幌市の人口の急増から大規模団地として注目されるようになります。
昭和39年(1964年)、現在の花川南地区が「新札幌団地」として造成が開始されて以降、
大規模住宅地として開発が進み、人口はめざましく増加しました。
また、昭和48年(1973年)から着工された石狩湾新港は、国際貿易拠点港として期待されています。
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