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小樽市

 

「オタル」は
アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)8fa57053.gif
が地名の由来とされ
ています。
今の小樽の町にはこの川はありません。

江戸期より鰊漁や鮭漁を営む人々により集落が
形成され、1865(元治2)年に「村並」となりました。

1869(明治2)年、札幌に開拓使が設置されると小樽は
北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられ
1880(明治13)年には、道内で最初の鉄道が手宮と札幌間に開通しました。


 その後、小樽港は1889(明治22)年には特別輸出港に、
1899(明治32)年には国際貿易港に指定され、さらに日露戦争後は
南樺太の消費物資の供給地となるなど、小樽はこのころから急速に
発展し、繁栄の一途をたどりました。

 一方、街並みの形成過程をみますと、1889(明治22)年には
色内・手宮の地先の埋め立てが完成し、この地に石造倉庫が建ち並びました。
市街地の中心も勝納町から入船町、堺町、色内町方面に移り、回漕店、問屋、
銀行などが軒を並べました。

特に「北のウォール街」と呼ばれた銀行街は、明治から大正期にかけて中央
の金融機関が進出したもので、本道金融界の中心地として重要な役割を果た
しました。


 このような背景の中で、色内一帯には中央の建築家の手による
旧日本郵船(株)小樽支店(国指定重要文化財)、日本銀行旧小樽支店
(小樽市指定有形文化財)など、近代建築が数多く建てられました。

 これら明治、大正、昭和初期の建造物は現在も数多く残されており、
歴史や文化を今に伝え、小樽らしい街並みを形成しています。

 

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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