2009/01/31 08:19:23
小樽運河論争と景観条例について
小樽には、多くの指定歴史的建造物があります。
何故こうなったかといいますと
全国に先駆けた論争の歴史がありました。
発端は昭和41年に都市計画決定された
「運河埋立の立案」です。
それが5年後の札樽自動車道の開通とともに現実味をおび
昭和48年に「小樽運河を守る会」が発足し学識者、
住民を巻き込んで多彩な運動となりました。
しかし、若干の都市計画変更で昭和57年に埋立工事が着工
61年ついに小樽運河はその幅が半分に埋め立てられ、
臨海線が開通しました。
このことが引き金となり昭和58年
「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定。
「歴史的建造物」の単体指定と、歴史的な街並みの保全を目的とした
「景観地区」指定となりました。
この条例のもと、昭和60年には28棟の歴史的建造物が選定、
そのうち13棟が「小樽市指定歴史的建造物」となり、
平成4年3月までに31棟の歴史的建造物が指定されました。
また、昭和62年には、二ヵ所の歴史的景観地区
(小樽運河周辺地区、色内大通・緑山手通り地区)
が指定され、更に堺町本通りを「歴史的景観地区」、
入船七叉路地区を「拠点的景観形成地区」
も新規に指定しました。
508棟の歴史的建造物がリストアップされ、以前から指定してきた34棟
(31棟の指定歴史的建造物と国指定重要文化財、道指定有形文化財、鉄道記念物)
を加えた542棟のうち、98棟を「小樽市登録歴史的建造物」として登録し、
さらにその中から30棟を指定しました。
平成7年初頭に一棟が、諸般の理由で指定解除の後解体されたため、
現在「指定歴史的建造物」は60棟(登録は97棟)を数えるに至っております。
PR