2010/01/17 00:41:46
アイヌ文化 10
明治19(1886)年には北海道庁が置かれました。
道庁は土地と資源の民間への引き渡しと開拓をさらに進め、アイヌの人
たちの住む場所を狭めていきました。
こうした政策の中でアイヌの人たちの困窮がいっそう甚だしくなると、
明治32(1899)年に「北海道旧土人保護法」が作られました。
この法律は、農業のための土地を「下付」し、日本語や和人風の習慣に
よる教育を行うことで、アイヌ民族を和人に同化するためのものでした。
土地を与えられたアイヌの人の中には農業経営に成功した人もいまし
たが、農地にすることに失敗して土地を取り上げられたり、はじめから
農業に向かない土地を与えられた人が多かったのです。
また、アイヌ民族への下付地は、和人、とりわけ大きな資本を持つ者などに与え
られた土地に比べはるかに狭いものでした。
「北海道旧土人保護法」によるアイヌ民族への下付地は一戸あたり1万5千坪が
上限でしたが、明治5(1872)年の「北海道土地売貸規則」では和人一人あたりに10万坪、
明治30(1897)年の「北海道国有未開地処分法」では150万坪を限度に開墾した土地を
無償で払い下げるとしたことと比較するならば明らかな民族差別でした。
学校の設置にあたっては、子どもに教育を受けさせようと、土地や資金を寄付する
アイヌの人たちもいました。
しかし学校では、アイヌ語をはじめ独自の文化は否定され、日本語や和人風の生活のしかたを
覚えなければなりませんでした。
また「北海道旧土人保護法」による教育の重要な特徴は、和人児童との別学を原則とし、
教育内容にも不当な格差を設けていたことでした。
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