2010/11/08 00:44:44
モヨロ貝塚
網走のまちを流れる網走川は、オホーツク海に注いでいる。
その河口の砂丘に、いままで知られていた”歴史的日本人”とは
ちがうひとびとが住んでいたことを発見したのは、米村喜男衛翁であった。
大正2年(1913)9月で、21歳のときである。
モヨロ貝塚館は網走市郷土博物館の分館で、貝塚の堆積層が復原保存されている。
◆米村 喜男衛(よねむら きおえ)北海道網走市 1892~1981◆ ===============================
郷土史家、考古学研究家。
1912年にアイヌ民族の研究のため来道し、翌年モヨロ貝塚を発見。
縄文・アイヌ文化とも異なる「オホーツク文化」を世界に紹介した。
発掘調査が進むにつれ、その内容の豊富なことから「西の登呂」に
対して「東のモヨロ」と呼ばれる。
1928年、自室に資料陳列室を開設、後の網走博物館となる。
1946から1971年まで網走博物館長。
司馬遼太郎、金田一京助など一流の作家や研究家とも親交が深く、
また敬愛されていたという。
著書には『モヨロ貝塚資料集』『熊まつり』『モヨロ貝塚』などがある。
道文化賞、道新文化賞、道開発功労賞受賞。網走市名誉市民。
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