夜明け前
現在の斜里に人が住み始めたのはおよそ3万年前。
先土器時代と呼ばれ、石器の形式が大陸北部のものと共通点が多く、
北ヨーロッパからシベリアを経て、北海道北東部にわたる北アジア文化圏
の一端を形成していました。
奈良朝から平安朝の頃、大陸方面からオホーツク海沿岸を南下してきた
海洋民族がおりましたが、この民族の文化は従来の北海道には見られなかった
系統のものでオホーツク文化と称せられています。
宗谷に上陸した彼らはオホーツク海沿岸を東進し、
北千島に至る過程で斜里町にも多くの遺跡を残しています。
アイヌ文化期の初期には、まだいかなる民族の支配も受けず、
大陸との交易は宗谷、樺太を通して行われていました。
日本列島には、幾度となく北、西、南の陸峡(宗谷・津軽・対馬・朝鮮などの海峡)
を通って、いろいろな動物が渡ってきたと考えられている。
さらに、それらの動物群を追って旧石器人が渡ってきたともいわれている。
2万年以前の日本列島には43万年前にやってきたナウマンゾウなどの
中国北部の動物群やそれ以前からいたものが棲息していたが、
最終氷期に大陸と繋がった北海道だけはマンモス動物群が宗谷陸橋を渡ってくる
ことが出来たので、それらの混合相となった。
先土器時代(旧石器時代)
1万年以上前の日本列島はアジア大陸と陸続きになっていた(氷河時代)。
南方からナウマン象、北からマンモス象。
群馬県の岩宿遺跡(相沢忠洋による発見)。
打製石器。
土器はまだ使っていなかった(先土器時代・無土器時代)。
縄文時代
約1万年前から紀元前3世紀ごろまでの約8000年間。
1万年前ごろになると、気候が暖かくなって海面が上昇し、今のような日本列島ができた。
縄文土器(縄目の模様がないものもある。黒ずんだ色が特色)
打製石器・磨製石器・骨角器。
狩りや漁のくらし(弓矢の発明)、貝塚(福井県の鳥浜貝塚)が残っている。
たて穴住居、土偶。
青森県の三内丸山遺跡(縄文時代についての新たな発見)。
住居の作り方や墓地が共同であったことから考えて、身分や差別はなく、貧富の差もなかった。
弥生時代
紀元前3世紀ごろから3世紀ごろまでの500~600年間。
大陸から米づくりの技術が伝わる。
静岡の登呂遺跡・・・・たて穴住居、高床式倉庫、石ぼうちょう、木製農具。
佐賀県の吉野ケ里遺跡。
弥生土器、青銅器、鉄器、銅鐸。
社会の変化 → 定住生活、貧富の差、身分の差。
「むら」から「くに」へ。
力のあるむらのかしらは、豪族となって小さなくにを支配した。
57奴国王が中国(後漢)に使いを送り、中国の光武帝が金印を授ける。
107倭の国から使者を後漢に送り、交わりを始める。
150このころ倭の国に大乱が起こる。
239邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを送る。邪馬台国は30余国を支配。