ノモンハン事件 2
この衝突に対して日本・満洲側が冠しているノモンハン名称は、清朝が雍正十二年(1734年)に外蒙古(イルデン・ジャサク旗・エルヘムセグ・ジャサク旗)と、内蒙古(新バルガ旗)との境界上に設置したオボーの一つ「ノモハン・ブルド・オボー」に由来する。
このオボーは現在もモンゴル国のドルノド・アイマクと中国内モンゴル自治区北部のフルブイル市との境界上に現存し、大興安嶺の西側モンゴル高原、フルンブイル市の中心都部ハイラル区の南方、ハルハ河東方にある。
いっぽうソ連・モンゴル側が冠している「ハルハ河」とは、戦場の中央部を流れる河川の名称である。