2010/12/16 00:55:07
北方領土問題1
北方領土の歴史について。
領土問題は江戸後期の
大黒屋光太夫と高田屋嘉兵衛まで遡ります。
大黒屋光太夫(1751年-1828年)は井上靖「おろしや国酔夢譚」
高田屋嘉兵衛(1769年-1827年)は司馬遼太郎の「菜の花の沖」
として小説にもなっております。
大黒屋光太夫は現在の三重県鈴鹿市、
高田屋嘉兵衛は淡路島出身の廻船(運輸船)船頭でした。
高田屋嘉兵衛の銅像が函館にあります。
函館の護国神社へ通じる高田屋通り、函館山を背に3.6メートルの銅像が
建っております。高田屋の銅像はゴローニンを迎えるために函館に来航した
時を再現しているもので当時43歳。
帯刀し、右手には松前奉行からの論書を、左手には正装に着替えた際に
脱いだ衣装を持つ像。この銅像は北方領土の始まりでもあります。
高田屋嘉兵衛は1769年(明和6年)に淡路島に農民の子として生まれ
ましたが、漁業に従事し18歳で兵庫に出て廻船業者を志しました。
1795年(寛政7年)、高田屋嘉兵衛は庄内で1700石積の辰悦丸を建造し
本格的に廻船業として蝦夷地経営へ乗り出します。
1799年(寛政11年)、高田屋嘉兵衛は択捉島開発の命を幕府より受けました。
当時、国後と択捉の間は、潮流が早く、危険な水域とされ、交易品や人員を大量
に輸送する回船のルートを切り開く必要がありました。
高田屋は、国後島東端のアトイヤで20日間山に登り潮流を研究し、3筋の潮流
がそれぞれ別の方向に流れていることを知り海峡を直線的に渡るから危険なのであって
潮流の衝突を迂回すれば安全な航行ができると考えました。
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