2010/12/17 00:59:20
北方領土問題2
北方領土の歴史について。
高田屋嘉兵衛は
幕府の御用船・義温丸で航海を試み択捉航路を発見しました。
この発見により、翌年の1800年(寛政12年)には、択捉場所が
開設されることとなり嘉兵衛は同島の漁場17ヶ所を開発しました。
高田屋は、国後島と択捉島間の航路開拓を行い、鱒・鮭が豊富で
あった択捉島を開き島に原住していたアイヌの民を雇って漁法を教え
彼らの生活向上に尽くしました。
幕命により択捉航路を開き、蝦夷地物産売捌方となり、箱館(函館)の
北洋漁業の基を築いた人でもあります。
1806年(文化3年)、箱館の大火で街の大半を焼失した時
市内の井戸掘や道路の改修、開墾・植林等も自己資金で行なうなど、
箱館の基盤整備事業を実施。
更に造船所も建設し、官船はじめ多くの船を建造しました。
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