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北方領土問題3
一方、大黒屋光太夫は天明2年(1782年)嵐のため江戸へ向かう回船が漂流しアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。
大黒屋光太夫は首都ペテルブルクで皇帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国。
大黒屋光太夫らの漂流民を連れ、開国を求めたラックスマンの根室来航から十数年後の1807年(文化4年)、ロシア使節・レザノフが再び、通商を求め長崎に来航しました。
ロシア使節・レザノフの一行は、半年間、港内に滞留させられた末に拒否されたことから配下のフォストフは、択捉島の南部・津軽藩を襲撃するなど、北方海域で略奪、乱暴を働きました。