2011/03/08 00:05:16
北方領土問題 83
ノモンハン事件 25
第二次ノモンハン事件
他兵科との協同を軽視したのは日本軍戦車部隊も同様であった。7月3日に敵陣地に対する正面攻撃を実施した戦車第3連隊は、陣前に張られたピアノ線に履帯を絡めとられた。
装甲が薄い日本戦車は被弾すれば必ず撃破されるため、敵前での停止は致命的であった。
大損害を受けてから歩兵との協同行動の必要を認識したが、ノモンハンで再戦する機会は来なかった。
ソ連軍で最も損害の大きかった部隊は第11戦車旅団であった。
緒戦よりBT-5で戦闘に参加し大きな損害を出し、7月23日~8月28日の間にBT-7を155輌供給されていた。8月20日にはBT-5やBT-7など154輌で戦闘に参加、しかし続発する損害や故障に修理や補給が追いつかず、30日には稼働38輌・死傷者349名と、再び壊滅状態に陥っている。
戦後、ノモンハン従軍の元日本兵に日本のTV局が番組取材で収録した記録によると、ソ連戦車には乗員ハッチ外側から南京錠による施錠がなされていたとの証言がある。
逃亡を防ぐ目的及び督戦のための処置ではないかとの証言であった。
ハッチが外側から施錠されているため戦車が撃破された場合乗員は脱出できず、脱出していれば助かったであろう命が失われたことになる。
PR