北方領土問題 58
第二次世界大戦 3
第二次世界大戦の戦域を大別すると、ヨーロッパと北アフリカ、そして西アジアの一部を除く
アジアと太平洋全域に分けられる。
このうち、ドイツ・イタリア等とイギリス・フランス・ソ連・アメリカ等が戦った前者を欧州戦線、
日本等とアメリカ・イギリス・中華民国・オーストラリア等が戦った後者を日本は大東亜戦争、
連合国は太平洋戦争と呼称した。
ヨーロッパ戦線はさらに西部戦線、東部戦線(独ソ戦)に大別され、西部ではアメリカ・イギリス・
フランス、東部ではソ連がドイツ他の枢軸国と戦った。しかしこのほか中南米やカリブ海、マダガ
スカル島など世界各地で戦闘が行われた。
戦争は完全な総力戦となり、主要参戦国では戦争遂行のため人的・物的資源の全面的動員、
投入が行われた。世界の61カ国が参戦し、総計で約1億1000万人が軍隊に動員され、主要参
戦国の戦費はアメリカの3410億ドルを筆頭に、ドイツ2720億ドル、ソ連1920億ドル、イギリス
1200億ドル、イタリア940億ドル、日本560億ドルなど、総額1兆ドルを超える膨大な額に達した。
航空機や戦車などの旧来型兵器の著しい発達に加えて長距離ロケットや原子爆弾などの「核兵器」という大量殺戮兵器が登場し、戦場と銃後の区別が取り払われた。史上最初の原子爆弾の投下を含む都市への爆撃、ドイツ占領下の各地で実施された強制労働や略奪および約600万ものユダヤ人の組織的絶滅政策の遂行などにより、婦女子を含む約3000万人の一般市民が命を落とした。民間人の死者は大戦での死者総数約5500万人の半分を超えることとなった。
大戦後、戦争の帰趨に決定的な影響を与えたソビエト連邦とアメリカ合衆国の両戦勝国は、ともに世界を指導する超大国として冷戦の構図をもたらした。
戦場となったヨーロッパ、日本は国力を著しく低下し、アジア及びアフリカの植民地は続々と独立を果たした。のちの東西冷戦を経て、西ヨーロッパでは大戦での対立を乗り越え欧州統合の機運が高まった。