忍者ブログ
2025 02
≪ 2025 01 12 3 4 5 6 7 89 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 2223 24 25 26 27 28 2025 03 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



北方領土問題 55

 

関東軍特別演習 2


 参謀本部、とりわけ田中新一作戦部長を中心とする人々は、昭和161941)年6月中旬から各地に大動員をかけることによって関東軍の兵力を一挙に34個師団に増強し、これをもって日ソ中立条約を破棄し、ソ連国内に突入して極東ソ連領を占拠しようと考えた。

当時、独ソ戦が開始されており、それに呼応する形で東西からのソ連挟撃がこの作戦の眼目であった。とはいえ、それまではドイツの圧倒的有利に進んでいたかのような戦線も、7

 

月には膠着が始まっていた。
 また、日本国内では資源獲得のための南進論が優勢であって、特に海軍がこれを唱えてやまず、陸軍内部でも陸軍省がこれに同調した。しかし、それでも作戦部はこの計画を取りやめず、ほとんどどさくさ紛れに朝鮮軍や満州軍を動員して北部満州の広野に集結せしめた。そして田中作戦部長もついに東條首相から24個師団を北満に集める承認を獲得することに成功した。
だが、外相豊田貞次郎は「関特演」実施を承認した大本営政府連絡会議において、対ソ外交交渉要綱を決し、ソ連が日ソ中立条約を違反しない限り日本がこれを侵すことはないことを銘記し、それをそのままソ連側に通告した。これは「関特演」封じ込めのための措置に他ならない。
 かくして、豊田外相によって「関特演」は不発に終わったが、実施のために集められる予定であった兵力120万のうち70万が、馬匹30万のうち14万が集結していたと言われる。


PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
HN:
上家二三夫
性別:
男性