2011/06/19 00:48:18
入植者はどんな人達だったのか
琴似屯田兵になったほとんどの人達が、明治維新の際
「賊軍」とされ、いわれなき差別を受けた東北地方の武士達
だったのです(主に仙台藩亘理、次いで会津藩)。
屯田兵は「官軍」と呼ばれた薩摩などの人達が士官として命令
を下すなか東北地方からやってきた屯田兵は、ほとんどが当初
兵卒(軍隊でもっとも下の位)として扱われました。
幕末京都の治安のために文久2年(1862年)京都守護職がおかれ
会津藩主松平容保がこれに任命されるのですが、ここで登場するのが
後に「琴似屯田兵」として一部の人々が琴似へ渡ることになる会津藩
の人々です。
なぜ京都の治安維持を任されたのが東北の会津藩だったのか?
理由は、薩摩、長州、土佐等の兵力に対抗できる親藩(徳川家の親戚にあたる藩)
として、その藩秩序においても勇猛さにおいても、会津藩は幕府に絶大な信頼があった
からです。
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