忍者ブログ
2025 03
≪ 2025 02 12 3 4 5 6 7 89 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 2223 24 25 26 27 28 2930 31 2025 04 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



斜里町(しゃりちょう)

12,846人(人口、2009年3月31日)

 

町名の由来はアイヌ語のサルまたはシャルより転化したものでb2ff8e70.gif
いずれも「アシの生えているところ」の意味。

斜里町(しゃりちょう)は、網走支庁管内の斜里郡にある町。

 

知床は2005年7月17日にユネスコの世界自然遺産に登録されました。

斜里町は、これまで「みどりと人間の調和を求めて」を基本理念として、
しれとこ100平方メートルをはじめとする様々な環境施策を進めてきました。

 

現在の斜里に人が住み始めたのはおよそ3万年前。

先土器時代と呼ばれ、石器の形式が大陸北部のものと共通点が多く、
北ヨーロッパからシベリアを経て、北海道北東部にわたる北アジア文化圏の一端を形成していました。
奈良朝から平安朝の頃、大陸方面からオホーツク海沿岸を南下してきた海洋民族がおりましたが、この民族の文化は従来の北海道には見られなかった系統のものでオホーツク文化と称せられています。

宗谷に上陸した彼らはオホーツク海沿岸を東進し、北千島に至る過程で斜里町にも多くの遺跡を残しています。
アイヌ文化期の初期には、まだいかなる民族の支配も受けず、大陸との交易は宗谷、樺太を通して行われていました。

 

 

明治5年、斜里郡の村名が定められ、ヤンベツ村、シャリ村、シマトカリ村など5ヵ村が誕生しました。

明治10年には斜里浦役場が設置され、斜里町農業開拓の先駆者と言われている鈴木養太が入地した斜里村赤上1番地で初めてこの地に開拓の鍬を打ち下ろしました。
PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
HN:
上家二三夫
性別:
男性