「鷲ノ木史跡公園」
京都の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争で旧幕府軍は関東から東北に追い詰め
られていきます。榎本武揚率いる旧幕府海軍と脱走艦隊は、明治新政府とは別の
独立政権「蝦夷共和国」設立を夢見て北海道に向かった。北海道に上陸したのが
噴火湾中央部の鷲ノ木村。ここから箱館戦争が始まりました。
鷲ノ木海岸は現在の茅部郡森町にあり、今も「鷲ノ木史跡公園」として残っております。
「明治元年(1868)旧10月20日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)
率いる艦隊が上陸しました。上陸時の鷲ノ木は、積雪30cm、北西の強風で波は荒れ
(夕バ風)、暴風雪であったといわれる。
榎本艦隊は、旗艦開陽丸ほか7艦(回天(かいてん)、蟠龍(はんりゅう)、長鯨(ちょう
けい)、神速(じんそく)、鳳凰(ほうおう)、回春(かいしゅん)、大江(おおえ)で、このと
きの人員は、榎本をはじめ松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左衛門ら二千人
以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした。
当時の鷲ノ木村は戸数約150、人口約800で茅部街道の要所でもあり、箱館への
交通も開けていました。
21日、人見勝太郎以下32名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえて官軍と
撃戦となり、箱館戦争へと展開していく事になります。開戦とともに鷲ノ木村は榎本軍
の後方陣地となり、高森台場(現東森)、石川原沢口台場(現富士見町)、湯の崎台場
(現鷲ノ木)などが構築されました。
こうして、明治二年五月の、函館戦争終結までは負傷者や病人達の療養地となり、
また戦死者は、霊鷲院に手厚く葬られました。
今も鷲ノ木の墓地には榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園内には上陸記念碑
や慰霊碑などがあります。」
平成二年七月三十日
森町教育委員会