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横路孝弘 34fae23ac.jpeg

衆議院で当選連続5回の後、1983年4月
北海道知事選挙に周囲から推される形で立候補。
田村正敏率いる勝手連による選挙運動で支持を広げ、
自民党、新自由クラブなどの推す前副知事三上顕一郎
らを破って初当選した。
2期目も自民党など推薦の松浦昭らを退け、3期目は
自民党推薦佐藤静雄に100万票以上の圧倒的大差をつけ当選。
革新王国といわれる北海道でも前代未聞の大勝であった。

自身と69年初当選同期の羽田孜農水相荒井聰に道庁への転勤を
命じ横路の下で知事室長を務めた。
一村一品運動を推進して地域経済の活性化をはかり、1回アジア冬
季競技大会
も招致。
しかし、地方博ブームにのって行われた1988年の「世界・食の祭典」
90億円という多額の赤字や関係者の自殺などを招き、道議会で問
責決議が行われた。
道民の間では「ショックの祭典」などと揶揄された。

その他カラ出張問題が社会問題化する等財政悪化の元凶として強い
批判を浴びた事もあった。
しかしながら依然として当時の無党派層には人気が高く細川政権時代
には次の首相候補として上位に名前が出たこともあった。
道議会で、自民党議員の質問に対する答弁で「日の丸は国旗、君が代
は国家」と明言し、出身母体の社会党の方針とは異なる内容だったの
で話題となった
(なお、後に衆議院議員として国旗国歌法の採決では反対票を投じている)。
同様に、北海道電力泊原子力発電所についても「行政の継続性」を唱えて、
反対をしなかった。
 
1995年、3期目の任期満了をもって北海道知事を退任。

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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