2010/07/02 00:52:33
ポプラ
ポプラは、ヤナギ科ヤマナラシ属 (Populus) の植物の総称。
ポプラが輸入された時期は明治の始めが通説です
「黒田清隆」が北海道を開拓をするにあたってアメリカから当時の農務局長ホーレス・ケプロン(1871年7月に訪日して1875年5月に帰国)を招いて農業と産業の基礎を作りました。その時にアメリカから農作物と洋種の樹木を多量に輸入しました。
「黒田清隆」が北海道を開拓をするにあたってアメリカから当時の農務局長ホーレス・ケプロン(1871年7月に訪日して1875年5月に帰国)を招いて農業と産業の基礎を作りました。その時にアメリカから農作物と洋種の樹木を多量に輸入しました。
札幌の町並みが完成したのが明治6年10月ですからその当時。
日本では、街路樹や、牧場の境界の目印や防風林として植えられる。
日本では、街路樹や、牧場の境界の目印や防風林として植えられる。
北海道大学や埼玉県立児玉白楊高校にはポプラ並木がある。
木材の利用として、幹はマッチの軸などに利用されてきた。
中国の内陸部では成長が早く活着が良いことに着目し植樹が行われている。成長に水分を多く要するようになる樹齢20年以前を目安に伐採されることが多く、単板や合板に加工され利用されている。地域の貴重な現金収入かつ防風林の役割を果たすことから、植樹が奨励されている。
韓国では朝鮮戦争で国内の木が多く失われてしまい、洪水が起こりやすくなってしまったため成長の早いポプラの木がニセアカシアの木とともに多く植えられている。
北海道美瑛町にはCMやドラマの撮影で使われ、観光名所になっているポプラの木がある。
2005年6月にドイツで行われたFIFAコンフェデレーションズカップでは、大量のポプラの綿毛が試合会場で乱舞する様子がテレビでも映し出された。ドイツではこの綿毛がアレルギー性鼻炎の原因になることもある。
ポプラは成長が早く高木となるが、その高さに比較して根が大きくならないことから台風などの強風に弱く、根ごと倒れることがある。
2004年の台風18号の折、暴風に襲われた北海道大学のポプラ並木は、大量の風倒木を出した。
1976年8月18日に韓国・北朝鮮の板門店で、視界の妨げとなるポプラの木を切ろうとしたアメリカ陸軍工兵隊に対して朝鮮人民軍が攻撃を行った。この事件はポプラ事件と呼ばれ、第二次朝鮮戦争にも発展しかねない軍事衝突だった。
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