2009/03/01 00:00:38
帯広市
明治16年(1883年)に本格的に開拓がはじまり、碁盤目状の道路網
など計画的な市街地形成を行ってきました。
など計画的な市街地形成を行ってきました。
農業を主要産業とする十勝地方(約35万人、1市16町2村)の中心地
であり、農産物集積地、商業都市としての役割を担っています。
であり、農産物集積地、商業都市としての役割を担っています。
帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による
開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社
一行が1883年(明治16年)に入植したのが開拓の始まり。
1895年(明治28年)に通称十勝監獄が開設され、受刑者によって大通が整備され市街地が形成された。
開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社
一行が1883年(明治16年)に入植したのが開拓の始まり。
1895年(明治28年)に通称十勝監獄が開設され、受刑者によって大通が整備され市街地が形成された。
市街は計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の区画が四方に広がり、大通公園から北東、北西、南東、南西に対角線方向の道路(火防線)が設けられてい.る。
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