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平取すずらん群生地

北海道には日本100名山が9山あるが、その一山が日高山脈の
最高峰「幌尻岳」だ。この幌尻岳の麓に「すずらん群生地」がある。
平取町の中心地から35㌔で、国道237号線を北上して道道845号
(芽生貫気別線)に入り芽生(めむ)の村にある。
したがって、正式の名称は「平取町芽生すずらん群生地」。
かつて、このあたりは馬の放牧地だったがスズランは有毒のため馬が
食べないので群生化した。
今年の鑑賞会は5月31日から6月8日まで。
遊歩道は最長で840メートルある。


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 義経神社 (平取町)

義経神社は、沙流郡平取町にあります。
義経にまつわる伝説は北海道に数多くありますが、神社として
残されているのは平取だけです。
アイヌ民族が多いところに伝えられていると思われます。

この神社が作られた経緯は、1799年(寛政11)近藤重蔵らが御神
像を寄進し、この地に安置したのが始まりとされています。

 
早来町の最古木造サイロ  

 早来町(はやきたちょう)とは、胆振支庁管内勇払郡にあった町で
2006年追分町と合併して安平町になった。

酪農や軽種馬生産などがさかんで、元スピードスケート選手の橋本聖子の
出身地としても知られている。

明治27年に早来駅が開業して以来、支安平川流域を中心に入植が行われた。
昭和5年ころ酪農団体30余戸入植し、サイロも含め施設は木造だった。
昭和8年早来町遠浅(今も地名は残っている)に日本で最初のチーズ工場が酪連
により建設された。
このサイロの餌を食べた私達の牛乳から日本最初のチーズができました。
今でも、はやきたカマンベール、ブルーアンドホワイトとして生産されている。


 
オコタンペ湖       

 オコタンペ湖は、札幌の南区から国道453号線で支笏湖に向かうと
オコタン分岐点から道道78号支笏湖線に入り3キロほど進んだところにある。

 78号線は以前美笛に抜けるための道だったが、今は途中で行き止まりとなっている。
北海道三大秘湖のひとつ。
他の二つは、上士幌町にある東雲湖(しののめこ)と、足寄町・阿寒国立公園内にあるオンネトー。
恵庭岳の火山噴出物によりできた堰止湖で、支笏湖よりも300m高い位置にある。

天気の良い日は展望台からの湖面が鮮やかだ。
写真の山にある白い線のようなものは、6月だというのに残雪である。


   

 稲田騒動(開拓者集団上陸記念碑)     

 国道235号線を浦河に向かい静内川を渡り左手に
シャクシャインの丘を仰ぎ見ると、アイヌの様々な伝承を偲ぶことができる。

 この一帯は、まさにアイヌの聖地でもある。
この丘を過ぎて、更に南下すると三石地区に入るが、その手前山側に記念碑
が立っている。ゆっくり走らなければ見過ごしてしまいそうな場所だ。  

 この地が、明治4年5月2日に淡路島徳島藩の
洲本城代家老稲田九郎兵衛邦植の旧家臣546人は、明治4年4月中ころ洲本港を出港。
5月2日に静内沖に到着し今の元静内に上陸した。


(北の零年のモデル。上陸の地)



  

  倶多楽湖(クッタラ湖) 白老町                                           

  北海道の観光地として摩周湖は良く知られているが、クッタラ湖
 を知る人は少ないだろう。
  更に、行ったことがあるという人は限られてくると思われる。

  水質は全国一位、透明度は摩周湖に次いで2位のカルデラ湖である。
 住所はアイヌの聖地でもある白老町に属しているのだが、この湖に行くには
 隣町である登別からでなければ近づくことができない。
  温泉街である登別地獄谷の駐車場から車で7キロほど山の中を走ると
 標高258mの湖が見えてくる。この湖は秘境に近い雰囲気を持っている。



木造のサイロ
  木造のサイロの建設年は昭和5~7年ごろ。

木材料経過年数推定90年
 同規格の物は富樫牧場と照井牧場に建設

所在地  北海道勇払郡早来町遠浅730-2 
       山田 羔牧場構造 

全高12.7m 内径4.5m  サイレージ製品容重量120t

昭和5年から8年頃にかけて酪農団体30余戸入植(滝川からの入植者)し、
サイロも含めて施設は木造だった。
昭和8年早来町遠浅に日本で最初のチーズ工場が酪連により建設され、
(後、雪印乳業に移り昭和60年大樹町に移り閉鎖)牛乳から日本最初の
チーズができた。
 
早来町は2006年に、追分町と合併して「安平町」となった。





追分鉄道
 
追分町鉄道のあゆみ  

石勝線のJR事故が昨年より相次いで起きておりますが、都度地名
で出てくる追分町のあゆみを掲載します。
尚、現在の石勝線が開通されたのは昭和56年10月1日でした。
 
追分町鉄道のあゆみ
 
明治22年 北海道炭鉱鉄道会社の室蘭~岩見沢、夕張線鉄道敷設が認可
                され追分(当時アビラ)は、夕張線の分岐点となる。
明治25年 岩見沢~輪西間、追分~夕張間の鉄道開通する。
        追分機関庫、追分駅が開設される。
明治39年 鉄道国有法が公布され、国有鉄道に買収となる。
大正7年  追分機関庫全焼。昭和11年 追分機関庫が札幌鉄道局追分機関区となる。
昭和40年 追分線(石勝線の一環、追分~千歳17km)の建設工事開始。
昭和50年 夕張~追分間にわが国最後のSL走る。
昭和51年 追分機関区扇形車庫全焼。
昭和52年 追分機関区扇形新車庫完成。
昭和56年 石勝線開通。
昭和57年 追分町開基90周年、分村30周年記念事業実施。



有珠善光寺

有珠善光寺

 室蘭から長万部に向かって国道37号線がありますが、
伊達市の街中を過ぎて10分ほど走ると旧37号線に入る道があります。
有珠湾に沿いながら迂回した道です。
丁度入り江になる所に有珠善光寺があります。


 826年、比叡山の僧であった慈覚大師が、自ら彫った本尊阿弥陀如来
を安置し、開山したと伝えられています。

上ノ国の上国寺が1443年と伝えられているので北海道で一番古いお寺
になると思えます。
1804年、時の将軍徳川家斉公により蝦夷三官寺の一つとして、正式な
建立をみた江戸の芝増上寺の末寺です。
蝦夷三官寺とは、日高様似の等澍院、厚岸の国泰寺と並ぶものです。


 昨年は、三回ほど訪れましたが行く度にお寺の顔が変わり興味が絶えません。
広い庭には有珠山の噴火で飛んできた巨岩がいたるところにあります。

花見の名所としても知られていますが、四季折々に境内の風景が変わります。


風不死岳(ふっぷしだけ)_mt-fuppushi.jpg

 

地質は安山岩質の成層火山で溶岩ドームを持つ。
支笏カルデラの後カルデラ火山である。
同じく後カルデラ火山の樽前山、恵庭岳より古く侵食が進んでいる。

山麓には幅が極めて狭く深い峡谷がいくつもあり、そのひとつが苔の洞門である。

 

千歳市にあるの第四紀火山。標高は1102.5m

「ふっぷし」という山名は、
アイヌ語のフップ・ウシ(トドマツのあるところ)から由来した地名です。
その名の通り、かつては見事なトドマツの純林に覆われていたが、
1954
年の洞爺丸台風で大量の風倒木を出し、往時の面影はない。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性