2010/10/02 00:18:26
北海道開拓使は、10年間で開墾した土地は無償で払い下げるという条件で、浦河郡幌別川流域の西舎(にしちゃ)村(現在の浦河町西部)への入植を許可した。
彼らはキリスト教的理想郷の建設を目指し、新大陸北海道へ渡った。
移民船は暴風に遭遇して千島まで漂流し、腸チフスの流行、幌別川の氾濫によって初期の入植は困難を極めた。
1882年(明治15年)4月に、福澤諭吉の弟子であった沢茂吉を指導者として神戸港を出た80人ほどの赤心社移民団は、25日の航海の後、5月に元浦川(現在の浦河町荻伏)に上陸した。
彼らは1886年(明治19年)に在来種の種馬を購入して馬産を開始すると、アラブ、トロッター、ベルシュロンなどの種牡馬を入れて品種改良に取り組んだ。
大変な艱難の末に彼らの開拓事業は軌道に乗り、赤心社は北海道開拓会社として歴史的な成功を収めた。
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