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 葉山嘉樹 文学碑 (はやまよしき ぶんがくひ)
(昭和61 年10 月18 日建立、入江臨海公園内)09984516afa22a37.jpg
 
(主 碑) 海に生くる人々
(副 碑) 室蘭港が奥深く廣く入り込んだ
 
明治27年、福岡県に生まれる。大正5年、室蘭・横浜間の石炭
運搬船「万字丸」に下級船員として乗り組み、室蘭にやってきた。
その時の体験は、大正12年、治安容疑で服役中の名古屋の刑
務所で、毎日検問を受けながら書き上げられ、プロレタリア文学
の名作「海に生くる人々」として後に世に出される。

 この小説には、今も存在する菓子屋の東陽軒(小説では東洋軒)をはじめ、
当時の室蘭の港や町の様子が描かれている。
そして、けがをして手当てを受けた町立病院の院長は、八木義徳の実父、
田中好治である。また、「鴨猟」では室蘭港を描いている。
 小樽出身の小林多喜二はこの「海に生くる人々」など葉山の作品から大きな影響を受け、
「蟹工船」を書き上げたという。
 高さ1m、幅4m、奥行き2mの台座の上に、海を背にして高さ2m、幅3mの有珠山の
安山岩の主碑と高さ1.1m、幅1.4mの黒御影石の副碑、そして日高石の添え石の三つが、
ここちよい風に吹かれながら、入江臨海公園に建っている。
 碑文は、「海に生くる人々」の有名な書き出しの一節で、元室蘭市長で書家の
長谷川遅牛の筆によるもの。
 碑の建っている場所は、かつて石炭積み出しの船が出入りして栄えた、港を埋め立てた
ところであり、この碑は単に文学碑であるだけでなく、室蘭港を開発した多くの先達の顕彰碑でもある。
 碑は建立期成会が中心となって、港を愛する多くの人の善意によって建てられ、
葉山の41年目の命日である昭和61年10月18日に、菊枝夫人や長女、出生地の福岡県豊津町
の町長、室蘭出身の芥川賞作家、八木義徳氏らを招いて除幕式が行われた。
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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