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北海道内のおもな義経伝説 4kamui-13.jpg

 

積丹町  <チャレンカ・シララ姫伝説>

<神威岩伝説>
神威岬先端の岩。
義経に想いを寄せるチャレンカは、知らせず旅立った事を知り、
「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という言葉を残して海へ。
岩と化した。
女性を乗せた船がこの沖を過ぎようとすると必ず転覆し、神威岩はかつて女人禁制だった
というから、穏やかでない。

 

 

0e87ce24.jpeg   チャレンカ。神威岩 (積丹町・余別)

 ニセコ・積丹・小樽海岸国定公園にふくまれる積丹町余別の西岸の景勝地。

 日高の平取から雷電岬を越えて、岬の沖にさしかかった義経一行は、
  荒波にもまれて今にも難破しそうになりました。
 義経は、神威岩と海の神、風の神に祈りを捧げると、 ふしぎなことに
                  波も風もおさまり、無事通過できました。

一説には、平取のアイヌの娘、チャレンカもまた義経を慕って後を追い、 船の行く手をはばむために
身投げしたのが、
立岩として残っていると伝えられています。
神威岬はその昔女人禁制の地といわれ、 女性が乗った船がこの辺りを通るとチャレンカの恨みに
よって、
必ず転覆したと伝えられています。
現在、神威岬への遊歩道は"チャレンカの小道"といわれ、 野鳥のさえずりを聞きながら散策を楽しめます。


 

500x500-49152.jpg奇岩と伝説が語りかけるシララ姫伝説

義経を追って、高波にのまれたシララ姫伝説
積丹岬の東、入舸は昔アイヌの人たちが住んでいたところです。
義経一行は、日本海沿岸を北上、 神威岬の沖を船で通過しようとしていました。 ところが、この辺りは、風の強さと潮の流れの早い難所。
荒海に櫂を流され、かろうじて入舸に流れつきました。 首長は娘のシララに義経を介抱させ、義経の傷も順調に回復していきました。 海辺を散歩する義経とシララの姿は、ほほえましい光景でした。しかし、ここも義経にとって安住の地でなく、 一族の再興をはかる大望を胸に船出をしたのです。 シララは岩伝いに船を追いましたが、 折りから満潮となった大波にのみこまれてしまいました。波間に沈んだかと思うとシララは浮かびあがり、 そのまま岩になったということです。
現在、"シララ姫の小道"と呼ばれる積丹岬周辺は、 奇岩の多いビューポイントです。

 




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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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