2011/06/05 00:29:09
1835年12月11日~1920年8月30日
アメリカ合衆国の鉱山学者で、お雇い外国人として日本に招かれた一人。
経歴
1835年にマサチューセッツ州のノーサンプトンで出生。
ペンシルベニア州、インドなどの石油調査を終えたのち、1872年(明治5年)と1876年(明治9年)に開拓使の招待や工務省の依頼で日本各地の石炭・石油・地質調査にあたった。
1881年(明治14年)に帰国するまで自身の日本人助手に教育するなど日本の地質学に貢献した。
明治6年1月17日来日すると、東京芝に創設されたばかりの開拓使仮学校(札幌農学校-北海道
大学の前身)において教鞭をとる。同年4月17日、北海道に向けて横浜を出航する。
3年に及ぶ北海道全島調査は、その名目こそ地質調査であったが、地形測量すなわち地図作成と
いう難行をともなう「道無き道を進む」苛烈なものだった。
多くの困難を乗り越え彼らはそれを完遂すると,新生明治日本の将来に順風を送る幌内炭田群(石狩炭田)の発見報告などとともに,
1876(明治9)年5月10日,日本最初の広域地質図幅「日本蝦夷地質要略之図」を刊行して日本地質学史に金字塔をうちたてる。
これは日本で最初の本格的地質地図とされている。
夕張炭鉱⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
北炭夕張炭鉱⇒ ライマンが石炭調査を行った場所にできた炭鉱。
PR