2012/11/15 07:53:38
雄冬岬(国道231号) 3
雄冬岬の中心に日本海岸は、石狩、厚田、浜益、増毛、留萌、小平と
江戸時代から鰊の漁場として栄えただけに、道路開削の努力は江戸から続けられていた。
1857年(安政4年)、浜益と増毛両場所の場所請人を兼ねていた
伊達林右衛門が自費で道路を開削した。
だが、それは道と呼べるものではなかった。
明治7年にここを通った開拓使の御雇い外国人技師ライマンは
「鹿の作りしものならん、人間の建築とは思われ難し」と報告書に述べている。
日本海岸から鰊が去ると、増毛、浜益とも衰退し、この山道も大正の後半には
まったく忘れられてしまった。
雄冬岬、特に浜益村千代別から雄冬の間は安政期以降まったくの手付かずだった。
(写真は増毛から見た暑寒別岳)
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