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NHKのニュースなどでもおなじみの幣舞橋(ぬさまいばし)ですnusamai.jpg

この映像は天気予報や地震の時には良く見かけます。

画像の手前に丘があり公園になっていています。夜景がきれいです。
この丘は約40度の急傾斜で造られおり、ここに花時計が設置されて
おります。
花時計は各地にありますが、この丘を彩る巨大な花時計は全国的に
もユニークなもので町のシンボルでもあります。
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ccfab2ed.jpeg釧路の幣舞橋
といえば、札幌の豊平橋、旭川の旭橋とともに
北海道の三大名橋といわれています。

橋のランカンには「春夏秋冬」をシンボライズするブロンズ像を配し
街路灯もロンドンを思わせるエキゾチックな香りを漂わせています。

秋から冬にかけての夕陽、
夏の霧に浮かぶこの橋は全国から多くの観光客が訪れています。



歌人・石川啄木
明治19年南岩手郡日戸村で生まれ
明治45年(1913年)4月13日、肺結核により26歳で没する。778b8c9f.jpeg

北海道は石川啄木と縁が深く、新聞記者として滞在した
各地に記念碑や像などがある。

函館から小樽、札幌、釧路と流浪したが、
その中でも釧路には多くのモニュメントが残っています。

啄木が旧釧路新聞の記者として滞在したのは僅か76日間だが
啄木は明治41年1月21日午後9時半に釧路駅に降り立つが
その時のことを

「さいはての 駅におりたら 雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき

という有名な歌で残している。

幣舞橋の近くにある。



建物はタンチョウが翼を広げた姿をイメージ。

1984年に第36回日本建築学会賞を受賞している。e72ed797.jpeg

博物館では、二つの展示手法が試みられています。

そのひとつは、シンセサイザーをもちいたサウンド・スケープ。
音を媒体として展示のテーマを伝えようとするもので、

1階展示室は
   「湿原を吹きぬける風と水の流れ」、「ひろがる北の海」です。
2階展示室は
   先史時代から近世、近代への「時の流れ」、
4階は
   「コタンを吹きぬける風やこずえからこぼれる陽の光」などの
   風景、あるいは情景をイメージしています。

ふたつめの試みは、各階の展示室を結ぶ二重ラセン階段です。
  1本は釧路の自然、
  他の1本は釧路の人々の歴史を象徴し、自然と人間の有機的
  な結びつきを表現したものです。



2005年10月にNHKで放映された
橋田壽賀子脚本ドラマ
「ハルとナツ 届かなかった手紙」のロケ地です。
0caffa21.jpeg

奥行臼駅逓所の裏手
ここが「ハルとナツ」のロケ地となった場所で、ナツの育ての
親である牛飼いの徳治の家や牛舎、チーズ小屋などが
再現され、仲間由紀恵さんが演じるナツが牛の世話をする
場面や、チーズ作りをする場面などが撮影されました。

昭和9年、北海道からブラジルへの移民となった姉ハルとその家族。
出発の地、神戸で眼病のためひとり日本に残された妹ナツ
 かたや激動の時代を困苦のブラジル移民として耐え抜き、かたや
日本でただひとり戦争と復興の時代を生きた、ふたりの女性の70年。
その人生の歳月をスケール豊かに浮き彫りにし、日本と日本人のあり方を問う壮大な大河ロマン。





平成6年、
北海道有形文化財に指定された奥行臼駅逓所は、
明治43年10月にこの地区の世話役であった
山崎藤次郎氏を取扱人として開設されました。
ea00f613.jpeg
廃止となる昭和5年6月まで別海・西別・別当賀方面
への分岐点にある駅逓所として旅人に利用され、
鉄道など未発達なころ、
開拓に欠かせない拠点の一つとして、活躍しました。

北海道独自の制度である駅逓制度は旅人に宿や人馬
を提供したりと言った旅籠としての役割。
また、駅逓によっては郵便業務などの役割も担った施設
として地域を支えてきました。

廃止以前に根室管内では44カ所、
このうち本町においても9カ所設けられていましたが、
現存している駅逓所は「奥行臼駅逓所」のみです。


別海十景の1つ新酪農村展望台。

別海町を見ようと思えば、
まずは町役場を訪問することをおすすめします。7757895d.jpeg
別海十景のパンフレットがあります。

何せ広い荒野なので、車で走り回っても景色が
そう変わるものではありません。
人の数より、牛の数の方が多いところです。

別海十景の一つ「新酪農村展望台」。
広大な風景が360度見渡せる高さ10mの展望台です。

緑の大平原にのんびりと草を食べる牛たち、どこまでも
真っ直ぐ伸びる道路と北海道らしい風景が広がっています。

晴れた日には風蓮湖や阿寒、知床連山も望むことができる人気スポットです。


野付半島
のもう一つの特徴は「トドワラ」です。


060f747e.jpeg
野付半島は江戸時代の中頃まで、
トドマツ・エゾマツ・ハンノキ・カシワなどの
樹種から成る原生林がありました。

しかし地盤沈下によって海水が浸入し、
木々が立ち枯れを起こしました。

トドワラとはトドマツの枯れ木群のことで,
荒涼とした景観を作り出しました。

これが幻想的な景色をつくりだしました。


2004年
北海道遺産に「野付半島と打瀬船」登録。
 06fdc4cf.jpeg
春と秋(6~7月・9中旬~10月下旬)に野付湾に浮かぶ
打瀬船は風物詩として多くの人々を引き付けております。

シマエビの住処であり、
餌となる藻を傷つけないために三角帆で風を受ける
漁法は江戸時代からあったと言われています。
 



野付半島は
 標津町から別海町にある細長い半島。
 
 潮流によって運ばれた砂レキが堆積し延長26kmの
日本最大の砂嘴(さし)半島です。
これが奇妙な形で、まるでエビか鎌の姿をしております。
87a1ae38.jpeg
 写真がその半島ですが、この半島に途中までですが
車が入れます。
野付崎に向かって走ると右手は野付湾、左手は根室海峡。
幅が30mしかないところもあり、晴れた日には最高のドライブコース。

 野付湾は、水深1~5mと大変浅く、海底には「アマモ」と呼ばれる藻
が大群落をつくっています。
このアマモに北海イシマエビが生息しています。
このエビが全国的に有名な名産で、売店でも販売しています。

 このエビの漁のために出されるのが「打瀬舟」です。
スクリュー船だと水深が浅くアマモがからんでしまう為、三角帆を立てて
風を利用して漁をします。これがまた絵になります。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
性別:
男性