2012/11/09 08:58:17
天北線
線名は、敷設されていた地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。
旭川―稚内の建設工事は明治31年から始められた。
明治39年9月には名寄まで開通したが、次いで名寄以遠は第二天塩線として
継続されるはずだったが日露戦争で中止された。
明治42年に名寄―稚内間の建設着手が決定された。
名寄―音威子府(おといねっぷ)については問題なく進んだが、音威子府から稚内の
経路を巡って対立が起きた。
天塩を経て日本海に出るルートと、オホーツク海岸に出て稚内に至るルートだった。
稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにも関わらず、大きく迂回する北見線ルート
が明治45年5月決定した。
当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク
海沿岸の地域開発が建設の名目にされたと言われている。
大正11年11月に音威子府―稚内が開通し、旭川―稚内全線が営業開始した。
北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継後の1989年に廃止された。
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