2013/03/10 19:13:07
シャクシャインの戦い(8)
シブチャリ(静内)を出たシャクシャインの軍勢は、海岸沿いに西へ西へと進み、
仲間を増やし一行がシコツ(支笏)に着いた時には、そこにも日本海の余市・積丹
の手勢も到着していた。
しかし、やはり石狩のハウカセの姿はなかった。
増毛の襲撃はあったが、石狩ではなかった。石狩は中立に回ったのだ。
しかし、軍勢は2000人を越えていた。
シャクシャインは、たとえハウエルが動かなくても瀬棚のアイコウインと恵山の
ヒコジロウが野田生で待っていると信じていたので作戦を変えることなく松前を目指
すことを決行した。
浦河のツノウシとマクワ、幌別のチメンバ、新冠のウエンスルシを大将とする先陣が
シコツを出発し、シャクシャインが後陣として続いた。
一行は、二年前に噴火した樽前山の隕石が打ち寄せた浜辺を進み、エトモ(室蘭)へ
到着した。エトモでも待ち構えていた手勢で更に人員は増えた。
しかし、これを見ていた虻田アイヌは松前に走った。
エトモ(室蘭)を過ぎると、6年前の有珠山噴火で吹き出した溶岩や、折り重なる倒木、
さらには降り積もった隕石が足場を奪った。
ここからが戦線を左右する通行の難儀続きの場所であった。
有珠の先は、礼文華・静狩峠という蝦夷の島で一、二を競う交通の難所であったのだ。
寛文9年(1669年)7月のことであった。
(写真は、アイヌの弓と矢)
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