2013/03/12 17:15:37
アイヌ民族の蜂起 35
シャクシャインの戦い(9)
シャクシャイン達の一行を悩ませたのが「虻田の礼文華・静狩峠」であった。
礼文華・静狩峠の海沿いは、崖が垂直に切り立っており、人も獣も海沿いを避けて
山越えをしなければならいな難所であった。
明治時代に入り開拓使がケプロンの提案で札幌本道(札幌から函館)の開削
をおこなうが、この峠を避けて室蘭からは航海で森町につけた。
更に、明治10年イギリスの女性探検家がこの「礼文華山道」を越える旅の記録がある。
「峠の距離は15キロ。馬に乗っても一時間に一マイル(1.6キロ)」
急峻な断崖が続くため、峰を歩くことでしか通過できないという記録があるところで
難所であった。
礼文華山道とは、有珠火山の南麓、現在の洞爺湖町から静狩
(しずかり 長万部の東街)に至る約40kmをいう。
武器と食糧を持ったアイヌの軍団がこの悪路で分断されてしまう。
今でも、この静狩峠を越えると長万部平野が眼下に見渡せる。
その先には太平洋が大きく広がってくる。
峠を降りて、海岸を南下するとそこは国縫であった。
(写真は、木幣)
シャクシャインの戦い(9)
シャクシャイン達の一行を悩ませたのが「虻田の礼文華・静狩峠」であった。
礼文華・静狩峠の海沿いは、崖が垂直に切り立っており、人も獣も海沿いを避けて
山越えをしなければならいな難所であった。
明治時代に入り開拓使がケプロンの提案で札幌本道(札幌から函館)の開削
をおこなうが、この峠を避けて室蘭からは航海で森町につけた。
更に、明治10年イギリスの女性探検家がこの「礼文華山道」を越える旅の記録がある。
「峠の距離は15キロ。馬に乗っても一時間に一マイル(1.6キロ)」
急峻な断崖が続くため、峰を歩くことでしか通過できないという記録があるところで
難所であった。
礼文華山道とは、有珠火山の南麓、現在の洞爺湖町から静狩
(しずかり 長万部の東街)に至る約40kmをいう。
武器と食糧を持ったアイヌの軍団がこの悪路で分断されてしまう。
今でも、この静狩峠を越えると長万部平野が眼下に見渡せる。
その先には太平洋が大きく広がってくる。
峠を降りて、海岸を南下するとそこは国縫であった。
(写真は、木幣)
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