2011/10/13 00:53:28
<篠路興産社・滝本五郎> | ||||||
板野郡長江村(現・鳴門市大津町)出身の滝本五郎は、北海道に移住 | ||||||
して大農法による農場開拓を目指し、明治14年、実弟阿部興人と組ん | ||||||
で徳島興産社を設立した。 | ||||||
明治15年5月、47歳で篠路に入地。同18年には札幌郡篠路村の興産 | ||||||
社農場に製造所を設けて蒅(すくも)の製造に乗り出した。 | ||||||
興産社は利子補給の特典を受ける保護会社となり、北海道庁の支援を | ||||||
受けながら、製藍事業を進めた。 | ||||||
同28年には製藍高4万3000貫に達し、北海道藍は本場の阿波藍を圧 | ||||||
迫するほどであった。しかし全国の伝統的な製藍業が化学染料の合成 | ||||||
藍に押されて衰退していく中で、明治30年には書業の中止を余儀なく | ||||||
されていった。 | ||||||
現在、民芸ブームの中で伝統的な藍染めが見直され、壊滅状態にあっ | ||||||
た藍が復活しているが、北海道では徳島県出身の篠原家が伊達市で今 | ||||||
も藍づくりを続けている。 | ||||||
また現在の札幌市北区篠路町の「あいの里」は、興産社の藍を地名の | ||||||
ゆかりとしている。 |
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